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支援センター職員によるブログ

戦略に基づく戦い(企業活動)について PartⅡ

2011/01/25

saiki.jpg おはようございます。がんばる中小企業を全力で支援する「広島市中小企業支援センター」副所長の佐伯です。


 さて、今回は、前回の続きについてお話します。


 物語の主人公であるアテルイは、蝦夷の中ではある程度の規模を有する部族の族長でしたが、単独ではとても朝廷軍に太刀打ちできる規模ではありませんでした。そこで、現在よく言われる「連携」を実践したのです。つまりバラバラであった蝦夷の各部族の力を糾合し、連合軍を組織することで戦い続けたのです。


 連合軍に加わった部族の中には、軍師の資質を持つ母礼(モレ)がいました。


 モレは蝦夷の進むべき方向を明確に定め、その目的に沿った戦略を立て、個々の戦闘では地の利を生かした戦術を立案しました。一方、アテルイは連合軍の数の少なさを補うため、機動力と破壊力を有する騎馬を中心とする軍を育て、10倍近い朝廷軍を何度も打ち破り、22年間に渡り抵抗し続けたのです。


 このことを企業活動に置き換えてみると、明確な目標を定め、経営戦略を策定し、その戦略に基づき個別の戦術を打ち立て、自分たちの土俵(得意とする分野)で有利に事業展開を図る。企業活動と共通する点が多々ありますね。特に、アテルイ達は、目標を達成したらそれ以上深い入りしない、という鉄則を設けていたようです。つまり、自分たちの体力を理解し、決して無理をしなかったことが、長期戦に耐えられた秘訣の一つだったのです。


 このことは、企業活動においても言えることではないでしょうか。よく、「一か八かの勝負に出る」なんてことを聴くことがありますが、たまたま運よく勝つこともあるでしょうが、こんな「出たとこ勝負」的なやり方は長続きするものではありません。あの信長ですら「桶狭間」のような戦い方は生涯にたった1度だけであったと聞いています。


 「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」をアテルイ達は実践したのです。


 さて、次回はアテルイ達の最後の戦いにおいて、子孫の代までを見越した戦略に脱帽した場面がありましたので、そのことについてお話したいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに!

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