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2026/06/10
おはようございます。 がんばる中小企業と創業者を全力で支援する「広島市中小企業支援センター」のコーディネータ・向井です。
今年4月23日、「Mine秋吉台ジオパーク」がユネスコ世界ジオパークに認定されました。このGWは、その認定エリアの一つである長登銅山跡を中心に、萩ジオパークにある須佐ホルンフェルスや畳ヶ淵(柱状節理)、さらに石見銀山、三瓶小豆原埋没林などを見学しました。いずれも、壮大な空間と、途方もない時間をかけて大自然がつくり上げた景観であり、その大地の恵みの上に私たちが生かされていることを実感し、畏敬の念を抱きました。今回は、その中でも長登銅山での見聞を基に、文献等で調査した内容をまとめてみます。
中国・四国地方は、海洋プレートがユーラシア大陸側へ沈み込む際に、海底表層が削り取られて形成された「付加体」を基盤としています。その地下では、海洋プレートから供給された水によってマントルの融点が下がり、大量のマグマが生じました(加水融解)。この花崗岩質マグマの活動に伴い、高温高圧の熱水が形成されました。この熱水には、銅(Cu)、鉄(Fe)、塩素(Cl)などが金属錯体として安定的に溶け込み、付加体中の割れ目や弱い部分に沿って地表近くまで上昇しました。
さらに、その熱水が石灰岩層(赤道付近でサンゴや有孔虫などが堆積して形成された秋吉台の石灰岩)へ侵入すると、pHの上昇によって金属錯体が不安定化し、銅や鉄を含む硫化物として、黄銅鉱(CuFeS₂)や斑銅鉱(Cu₅FeS₄)が析出しました。こうして形成された鉱床が、隆起と侵食によって地表へ露出し、古代の人々の目に触れることになったのです。
西暦745年から752年にかけて行われた奈良の大仏建立では、この地で500tもの銅が採掘・精錬され、瀬戸内海経由で2週間かけて輸送されたことが木簡などの史料から分かっています。また、長登銅山由来の銅と大仏の銅は、不純物分析では、砒素と鉛を多く含むという共通した特徴が見られ、鉛同位体比分析でも同様の結果が得られています。こうした分析結果から、長登銅山は大仏建立における主要な銅供給源だった可能性が高いと考えられています。なお、「長登」という地名は、「奈良登」に由来するという説もあり、この地と奈良との深い結びつきを感じさせます。
ところで、当時の人々は、なぜそこに鉱脈があると気づいたのでしょうか。また、それが有用な資源であり、さらに精錬すれば金属として利用できることを、どのように発見したのでしょうか。科学技術史の観点から掘り下げていくと、長年の経験の蓄積に加え、偶然の発見も大きな役割を果たしていたのではないか――そんな想像が膨らみます。長い年月の中で、人々は自然界の必然性を見逃さず、そこにセレンディピティを積み重ねながら、現在の科学技術へとつなげてきたのだと感じます。
